「もって六尺(りくせき)の孤を託すべく、もって百里の命をよすべく、大節に臨んで奪うべからざるなり、君子人か、君子人なり」

曽子の言説というのは、孔子のような力はないのだけれど、不思議な切れ味があるから。論語はわからなくても、曽子はわかるというのは、十分ありえる。 
 もうひとつ、

「仁もって、おのれの任となす、また重からずや。死してのち止む、また遠からずや」

仁というのが、何かよくわからなくても、何だかずっしり来るものがある。  
曽子は本当にいいよね。  
最後に、曽子が顔回を評論した部分。 

「能をもって不能に問い、多きをもって少なきに問い、有れども無きがごとく、みつれども虚しきがごとく、犯せども校(むく)いず、昔、わが友、ことにここに従えり」 

ただただ、ああ、私は顔回みたいには出来ないなー、と思わせるところの、この曽子の筆力。 

孔子の弟子の中で、曽子ってかっこいい。

「鳥のまさに死せんとす、その鳴くや哀し。人のまさに死せんとす、その言やよし」 

 ともある。 詩人だよね。 これが、屈原や荊軻よりも前の時代の春秋末期というのが、また趣を誘う。


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