尭と舜は、中国古代の伝説の聖王。
論語にこのようにある。

己を治めて、もって百姓(ひゃくせい)を安んずるは、尭舜(ぎょうしゅん)もそれなおこれを悩めり」
 
論語の論理というのは、個人の一体性を確立して、それをてこに世界の一体性を仮構して、個人と世界とが互いにその一体性を強化することによって社会の秩序を形成しようというものだ。 

己を治めて、尭舜は人民を安んずる。 

一神教的な神を導入することなく、広域地域における秩序を形成しようというのが、論語の論理だ。 この論語の挑戦が成功したのかというと、現代において、中国や日本が一体性をもって成立しているところを見ると、成功したということになるのだろう。  

憲問第十四386 子路は孔子に君子とは何かを問う。

「己を治めてもって敬す」 

  かくのごときのみか。 

「己を治めてもって人を安んず」 

  かくのごときのみか 

「己を治めてもって人民を安んずるは、尭舜もこれを悩めり」  

巧妙な言説になっている。 
人民個々の一体性の影響が、尭舜に集約されて、尭舜がさらに人民個々の一体性を強化することがありえるということを、この憲問第十四386は語っている。   

驚くべき論理だ。   

孔子の挑戦とはギリギリの挑戦だ。孔子は問うている、人間は最後の最後で他人の善意を信じる能力が与えられているのか、と。  

一神教の世界は、このことを信じることが出来なかったから神を造ったのだろう。孔子は、人間がこの能力を与えられていないのなら、人間は滅びるのも天命だと考えたのだろう。  

論語はすごいよ。論語を読める漢字文化圏は不滅だよ。  

こう考えてくると、論語というのはどこを読んでもすごく感じてくる。 

例えば述而第七 152、

「子曰わく、黙してこれを記し、学びていとわず、人を教えて倦まず、何か我にあらんや」 

またまたご謙遜を、みたいな。自らを捨てて世界を持ち上げようという。  
巨人だよ、巨人。孔子とは、世界を持ち上げようとする巨人だよ。

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