「礼はその奢らんよりはむしろ倹せよ」  
論語 八佾(はついつ)編

ゆずる精神みたいなものは、サラッとやった方がかっこいいよ、という感じだと思う。

「礼にあらざれば視ることなかれ 礼にあらざれば聞くことなかれ 礼にあらざれば動くことなかれ」   
論語 顔淵(がんえん)篇 

こういうのは、例えば電車で変なオヤジ同士のトラブルがあったら無視が一番、みたいな意味で理解していったらいいのではないかと思う。

論語の中には、いくつかの主要概念というのがある。徳、仁、学、礼、君子、道、とか。これらの概念が、互いを互いに補強しあっていると思うのだけれど、この中の「礼」という概念だけは、ちょっと他と違う。具体的なところがある。目上の人の前では小走りに走るとか、親が死んだら3年の喪に服すとか。論語の中では、多くの主要概念が観念的なものなのに、この礼だけが具体的なものであるから、論語の世界観というものは、時代が経過すれば「礼」に引きずられやすくなるだろう。だから、儒教というものは近代において、古臭い前時代の遺物みたいなことになったのだ思う。  

しかし、論語における礼の概念というのは、多くある主要概念の一つであって、その具体性にこだわる必要というのはたいしてないだろう。 

礼を現代的に言えば、例えば、電車では降りる人が優先ですよとか、列に割り込んではだめですよとか、映画館ではうるさくしてはダメですよとか、そういうことなのではないのかな。     

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