人を救うということを、別の言葉で再構成すると、非合理な情念にとらわれている人間を、合理的な言説で説得できるか、というところに帰着すると思う。 これが出来るかというと、正直出来ない。 人が救われるためには、非合理な情念という、おぼれる者のワラを自ら手放し、逆に他者の胸に飛び込むようなある種の飛躍が必要なんだよね。 合理的言説程度の力で、人をここまで駆り立てることは出来ない。 よくいるんだよ、話せば分かる、なんで言わないの、みたいな人が。 愚かだよ。 合理的言説で出来ることは、ワラにしがみついている人をより強くしがみつかせるようにすることだけだ。 私も得意なんだよね、人を救おうとして人の心を傷つけることが。  若い人はいい、生きているものを抱えているから。しかし、年をとるとキツイ、死んだものを抱えていたりするから。 ポイントオブノーリターンみたいなものが人生にもあって、これを越えると、救いの手がことごとく心を引き裂く刃に変わるというのはあると思う。  もし力強い言説があったとしても、ある人には救いであったり、同時にだよ、ある人には心を引き裂く刃ということもありえるだろう。