半分ほど読んだのだけれど、「行人」は結構面白い。 「行人」の後に発表された「こころ」が、神経症患者の告白本みたいで、ちょっとキツイ感じだったので、「行人」も怪しいのではないかと思っていたのだけれど、そういうわけでもない。   「こころ」の「先生」というのがほとんど理解不能なのだけれど、この「行人」においては、「こころ」の「先生」的な人物の精神状態を解説してくれる主人公が存在している。  これはありがたい話だ。  「行人」の主人公である語り手というのがざっくばらんな常識人で、感情移入しやすい。この主人公が、ちょっと神経症的な兄のフォローをするというのが、「行人」という小説の筋だ。 この兄という人物と、「こころ」の「先生」というのは、同じたぐいの人物だろう。ある種、常識を超えたような考え方をしていて、「行人」の兄の場合は、自分の妻の貞節を弟に二人きりの一泊旅行をすることで試して欲しいと懇願し、「こころ」の「先生」の場合は、妻との三角関係にあったところの自殺した友人への贖罪のために自殺しようとするわけで。 「こころ」の場合は、この「先生」の不可思議な行動を解説してくれる作中人物が存在しないので、「こころ」という作品自体が、分かる人しか分からないみたいなことになっていると思う。 しかし「行人」の場合は、奇妙な言動をする兄の心理を説明させられる弟がいるというのは心強い。 「行人」のなかには、「こころ」を理解するためのヒントというか、ヒント以上のものがあると思う。そういうつもりで「行人」を読んでいる。  「行人」の最初のほうで、主人公は友人の知り合いの女性が気になる。主人公は友人に遠慮して、その女性に一歩踏み込むのをためらう。普通そうだよね。女性はいっぱいいる。人類の半分は女性だ。敢えて友人が気にかけている女性に手を出すこともないだろう。  ところが、「こころ」の「先生」は友人の気にかけている女性に敢えて手を出す。ここまではありえる。青春時代にはよくあることだったりする。それを、20年もたって友人に対する贖罪だといって自殺しようとする。これはない。  この辺の具合を、「行人」は説明してくれているのではないか、と思うんだよね。