村上春樹の「アンダーグラウンド」という本は、サリン事件の被害者の証言を集めた本だ。 

なぜ村上春樹がこのような本を書いたのか、というのを問題にしたい。

あとがきの中で村上春樹は、オウムが他人事ではなかったからではないか、と書いている。  

どういう意味か?

オウム信者と、村上春樹小説の主人公たちには、共通点がある。どちらも、自分が自分であるという意識、すなわち自己同一性に確信が持てなかった、というところだ。

村上春樹小説の主人公たちは、この統合失調症気質をかっこいい個性だと考えて、それをオシャレな音楽や言葉遣いで飾ったりしている。オウム信者は、自己同一性を確立しようとして、自分の世界を縮小した。彼らは、それを出家と称した。

自己同一性というのは、自分と世界との認識の循環によって形成されるものだと、私は思う。大きい茫漠とした世界においては、自分とは何か分からなくなるけれど、小さい濃密な世界においては自分を確立しやすい。

自分から他者へ、他者から自分へ、という認識循環の回転数があがるからだ思う。

良い悪いは別にして、自己同一性の不確実さに向き合う誠実さという一点では、村上春樹小説の主人公たちよりオウム信者の方が上だろう。

これは恐ろしい話でね、誠実に自己同一性を確立しようとして、自分の世界を縮小したら、縮小されたところの空白の世界に暮らす人々は、人間としての意味を失い「物」になってしまう。

物だから、殺しても良心の呵責はない。これはホロコーストと同じ構造だよね。ナチスは、ドイツの一体性を願い、ドイツ世界を縮小して、縮小されたところの空白の世界に暮らすユダヤ人を物としてあつかった。

どうすればいいんだ? 

村上春樹のようにオシャンティーを気取るか、オウムのように人の心を失うか。

解決の道筋はないかのように見える。この世界は、自己同一性が社会参加の前提とされているかのように見える。

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