「魔の山」も終盤になって、ペーペルコルンという人物が現れる。 雰囲気を操れるかのような奇怪な人物。 セテムブリーニとナフタの影響から、カストルプ青年をアウフヘーベン、すなわち上に持ち上げるための人物。  どのようにして持ち上げるのか。ペーペルコルンはこのようにいう。 「「私はくりかえしていいます、だから私たちは感情燃焼の義務、宗教的義務を持っているのです。私たちの感情は、いいですか、生命を目ざます男性的な力です。生命はまどろんでいます。生命は目ざまされて、神聖な感情と陶酔的な結婚を結びたがっています。感情は、若い方、神聖です。人間は感じるから神聖なんです。人間は神の感情の器官です。神は人間によって感じようとして人間をつくりました。人間は、神が目ざまされ陶酔した生命と結婚するための器官にほかならないのです。人間が感情的に無力でしたら、神の屈辱がはじまり、神の男性的な力の敗北、宇宙のおわり、想像を絶する恐怖になります」   どういうことかというと、結局は「男と女」ということだ。ヘーゲルとかニーチェとかいったって、それはこの世界だけの話であって、忘れ去られた過去、忘れ去られた文明、においてはヘーゲルやニーチェを適用することは出来ない。しかし、忘れ去られた世界においても男と女はいて、間違いなく互いを求め合っていただろう。 私は男性だから女性のことはいまいちわからないのだけれど、男性には間違いなく「感情燃焼の義務」というものがあるだろう。男は、少なくとも一人の女は救わなくてはいけないということになる。  会社で同年代の同僚が何人かいる。あいつらいつまでたっても結婚せず、彼女がいたという話すら聞いた事がない。もう40代後半だというのにどうしようもない。昼休みは食い物屋の話ばかりだ、昨日なんか、10年前に喰った遠征先での昼飯の話をしていた。文学の話をしろとは言わない、少なくても女の話をしろよ。「magamin君も、あの店に一緒にいったよね」 いや、覚えてねーよ、10年も前にいった定食屋なんて。「magamin君はミックスフライ定食を食べてたよね、俺も同じだったから覚えてるよ」 おまえキメーよ。どんだけ暇なんだよ。 はっきりいって、怒りすらわいてくる。 彼らの考えているだろうことは分かる。 まじめに働いていたら彼女も出来て、結果、結婚ということになるだろうと思っていたのに、ということだろう。そのうち、話すことが食べ物の話しかなくなったのだろう。 根本から間違っているんだよ。 女を救わなくてはならないのに、自らをまず救おうとしてしまっている。「感情燃焼の義務」が果たせていない。自分は間違っていないと思っているのだろうが、それが間違っている。  なにを語るにしても、仕事をするにしても、哲学を探求するにしても、感情燃焼というのは前提だよな。

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