近代世界の強さというのは何に由来しているのかというと、ヘーゲルが「歴史哲学講義」で言うには、
「個体の一体性と、その所属する共同体の一体性とが、互いにその一体性を強化しあうようなシステム」
にあると。

西洋近代は、一体どこからこの観念を引っ張ってきたのか。ヘーゲルも「歴史哲学講義」の最後で、ちょっと言及していたけれども、プラトンの「国家」からだろう。

ヘーゲルはプラトンの正統な後継者といってもかまわないだろう。

「個体の一体性と、その所属する共同体の一体性とが、互いにその一体性を強化しあうようなシステム」があるとするなら、私たちは、例えばだよ、いい車に乗ったり美人の女を連れたりして、自分の強さを外側にアピールする必要なんてない。外界の評価が自分の一体性を支えるなんて、奴隷を意味する。

この近代世界には、自分の一体性が強化されうるシステムがあるなら、この世界は生きる価値がある。


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