ヘーゲル的世界観とは、個人の一体性と国家の一体性が、互いにフィードバックしあって互いに強化しあうという世界観。

一体性というものが価値を持つ。一体性こそが正義であり、良心の源泉となる。

個人の一体性が国家の一体性を強化するターンと、国家の一体性が個人の一体性を強化するターンが繰り返すのだという。
近代日本で考えれば、40年サイクルだろう。明治維新から第一次世界大戦終結までが、個人の一体性が国家の一体性を強化するターン。そこから太平洋戦争敗戦までが国家の一体性が個人の一体性を強化するターン。敗戦からバブルまでが、個人の一体性が国家の一体性を強化するターン。バブル崩壊から現在まで、国家の一体性が個人の一体性を強化するターン途中。

景気のいいときは個人が主導し、景気の悪い時は国家が主導するというパターンで、日本は現在2週目となる。

ヘーゲル的世界観においては、この周回を重ねるごとに、国家と個人の自己同一性は高まっていくということなのだろう。

最近思うのだけれど、このようなヘーゲル的観念というのは、訓練みたいなのが必要なのかなって。観念に観念を重ねているわけで、はっきりした根拠というのはないんだよね。材料から物を作るみたいな、確固とした手触りがない。しかし実体がないとしても、自分の自己同一性を意識すれば、たとえ無からでも意味というものが立ち現れると思う。

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