「歴史哲学講義」でヘーゲルは世界史における精神史というものにチャレンジしている。これは巨大なチャレンジで、ヘーゲルの時代水準を考えると、哲学史上の頭抜けた業績だろう。世界のそれぞれの文明を、内部から再構成しようというというのは、誠実な知的作業だと思う。ヘーゲル哲学は、誠実で巨大で知的で、方向性としてはすばらしい。

ただその具体的な内容となると、疑問はある。

人間の精神レベルというのは、東から西に行くほど高くなるとヘーゲルは思い込んでいる。中国からインド、ペルシャ、ユダヤ、エジプト、ギリシャ、ヨーロッパ、とだんだんと人間の程度が上がっていくという。中国は民度、最低レベルだから。日本は言及すらない。 

19世紀前半、ヨーロッパはすでにインドまで支配していた。ヘーゲルは、中国がヨーロッパに支配されるのも時間の問題だろう、とこの本の中で言っている。ヘーゲルの論理からすれば、当然だろう。東に行くほど人間の精神力は薄弱になるのだから。

ところが実際はどうだったか? 

中国はギリギリのところで植民地支配を回避して、現代において巨大な経済大国として勃興しつつある。はっきり言えば、東アジアに何らかの精神的な底力があったことは明らかだろう。 

ヘーゲルのどこが間違っていたのだろか。私は、ヘーゲルの考え方に問題があったのではなく、その知的誠実さに足りないところがあったと思う。ヘーゲルに知的誠実さに足りないとするなら、私たちにはなおさら、知的誠実さが足りないということになりがちだろうということは、簡単に推測が出来る。

ヘーゲルでさえ、未来を予測することは出来なかった。予測をゆがめるバイアスというのは、いたるところにある。

未来は予測できない話。

昔、もう25年ぐらい前か、私は大学に通っていて、名古屋の今池というところで下宿生活をしていた。彼女が遊びに来て、くだらないぐだぐだ喋るから、ヘーゲルの精神現象学を読み出した。そしたら彼女、怒って、「私よりもヘーゲルのほうが好きなんでしょ」みたいなことを言う。否定も出来ないから黙っていたら、さらに激怒するし。


その彼女と結婚して、20年たつのだけれど、喧嘩をするといまだに、「あんたはヘーゲルでも読んでればいいのよ」 と言われる。本当にその通りだな、と思う。

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