私たちは、現代小説や映画を、面白いとかいまいちだとか判断している。しかしいったい、私たちは、どのような基準で判断しているのだろうか。 無数の判断基準があるような評価だろうけれど、私はそうは思わない。 面白いかどうかを決定するような、価値基準のヒエラルキーがあると思う。役者の演技などというものは、このヒエラルキーの下のほうの価値基準だろう。だからこの「3月のライオン」という映画で、神木という主人公役の演技というのは、作品自体を評価するに当たって、たいした問題にはならない。  では、現代小説や映画において、評価基準ヒエラルキーの最上位とは何か。  はっきりいってしまえば、物語の整合性とその根拠が表現できているかどうか、ということだ。  なぜ面白さに、物語の整合性とその根拠が必要とされているのか、というと、結局この近代世界の成り立ちとそのあり方みたいな、ちょっと難しい話になってくると思う。  そして、「3月のライオン」 についてなのだけれど。 プロ将棋世界という限られた世界の話で、なおかつ主人公は奨励会をすでに中学生で突破しているという設定で、この映画においては、世界の整合性とその根拠というのが、ほとんどすでに与えられているという。  主人公が苦境に陥っても叫んでも、安心して観ていられる。現代の水戸黄門時代劇みたいなものだろう。  まあ、ずるいっちゃあずるいんだけど、チャレンジするだけが映画じゃないと思うし、いい意味で一般ウケするなら、それでいいという考えもありえる。