教養とは個人の人格や学習に結びついた知識や行いのこと。 辞書にはこのようにある。 でも何かちょっと違うよね。教養という概念には、うさんくさいものがある。付き合いきれないというところがある。  レベルの低い話で申し訳ないのだけれど、私はトラックの運転手をしていて、運転手仲間ではどれだけ道を知っているかが教養だったりする。休み時間には、よく自分の博識振りを披露しあったりしている。しかし、今はグーグルとかあるわけで、道を知っていることの実体的な価値というのはほとんどない。私は仲間の話を聞きながら、これが教養というヤツなんだなー、と思う。  突き詰めれば、教養とは役に立たない知識であり、役に立たない知識を習得した自分は、人生に余裕のある人間だというアピールの材料なんだよね。  自分はこれだけ浪費が出来る、まじめに働くバカどもより一頭地を抜く存在だ、というわけだ。  教養というもののうさんくささというのは、この辺に由来しているだろう。  最近、リベラルの凋落が著しい。ちょっと分かりにくいかもしれないけれど、これは合理性の勃興と、教養にたいする価値の低下に連動していると思う。  かつてはオヤジが、教養あふれる言辞で、若い女の子を引っ掛けるというのがステータスだったりしたんだよね。もうこんな詐術は使えないだろうなー。