「怒りの大気に冷たい嬰児が立ち上がって」は大江健三郎「新しい人よ目覚めよ」の中の一編。

大江健三郎は、そのデビュー作から、「人はいかにすれば救われるか」ということをテーマとして考えていると思う。1980年代の、「新しい人よ目覚めよ」シリーズでは、知的障害者の長男について書いている。  

読んで思ったのは、大江健三郎の長男の大江光さんは、頑張っているなーということ。  

「怒りの大気に冷たい嬰児が立ち上がって」という小説が、どこまで真実でどこまで脚色か分からないのだけれど、全て真実だと仮定するなら、救われるべきは、大江光さんではなく、大江健三郎自身だろう。

大江光さんには、この世界で生きようとする意志がある。タクシーの運転手に、ぼっちゃんはたいしたもんだなー、がんばってくださいね、と話しかけられたとき、大江光るさんは、
「ありがとうございました。がんばらせていただきます!」 
と答えた。すばらしいよ。   

そもそも、この世界で救われるためには、この世界は生きる価値があると確信させるところの意思の力がなくてはならない。馬鹿でも愚図でも、たとえ障害者でも、この世界は生きる価値があると確信するのなら、その人はいつか救われる。 
しかし頭がよくて、友達が多くて、金持ちだったりしても、この世界には生きる価値があると確信できなければ、そのひとは決して救われないだろう。

以上は、「怒りの大気に冷たい嬰児が立ち上がって」という小説が全て真実だと仮定しての話だ。全て真実ということはないだろう。大江光さんが、赤ちゃんの時に頭を手術する時の家族との会話あたりとかは、大江健三郎が自らを意図的に下げている部分があるのではないか。 
自らを下げて、そして子供を押し上げる。

愛だと思う。

関連記事