私は、「自分探し」ということに否定的ではない。  若者の「自分探し」に否定的な大人も多いと思う。たぶん、「自分探し、で本当の自分を見つようなんて馬鹿げている。自分が自分であるというのは当たり前であって、ここ以外の場所に本当の自分がいるなどというのは甘えだ」 という意見だと思う。    しかし、自分が自分であるというのは本当に当たり前なのだろうか。それが当たり前なら、分裂病や神経症という「自分が自分であるということに確信が持てない病気」になる人々が、日本だけで何百万人もいるというのはどういうわけなんだ?  自分が自分であるということは当たり前となっているにもかかわらず、それにふさわしい訓練が学校や家庭で行われるかというと、そうでもない。  馬鹿でない限り気がつく、ここまでは何とかやってこれたけど、ここから先を頑張れば自分が自分でなくなってしまうのではないかって。 こんな時に、「自分が自分であるのは当たり前だ、突撃せよ」 なんていうのは残酷過ぎないだろうか。  自分探しでも何でもやって、自分が自分であるという確信を養う時間も必要だ。レールから多少外れるかもしれないけれど、まあ死ぬよりマシだろう。