この「世界システム論」というのはうまく出来ている。  近代世界というのは、中核国と周辺国の役割分担によって、周辺国の富が中核国に回収されるというシステムだという。この概念を核にして、産業革命とか、フランス革命とか、2つの大戦とかをキレイに説明しようという。  近代をこのように考えることは、結局マルクスであり唯物論だ。「世界システム論」がマルクスだと、私は思いつきで断言しているわけではない。実際に「資本論」のどこかに、マルクスが「世界システム論」的なことを語っているところがあった。どこだったかよく覚えていないのだけれど、「資本論」2.3巻目だったような気がする。    まあ、「世界システム論」もいいだろう。しかし、中核国と周辺国とはいったいどのような運命によって分かれてしまったのか? 世界を進歩なるものに駆り立てる推進力は何なんだ? 世界がシステムなら、私たちは世界に向かって何もすることが出来ないのか? 「世界システム論」はこのような問いに答えることが出来ないだろう。    私は答えることが出来る。  中核国と周辺国とはいったいどのような運命によって分かれてしまったのか?  個人の一体性をどれだけ確信できるか、その確信を社会がどれだけ保障できるかによってだ。   世界を進歩なるものに駆り立てる推進力は何なんだ?  近代世界は進歩上昇しているのだろうか、拡散堕落しているのではないだろうか。  世界がシステムなら、私たちは世界に向かって何もすることが出来ないのか?  否、私たちには世界観そのものを変更する能力がある。