アリストテレスは、公理そのものを問題にするのが哲学だという。では第一の公理とは何か。  「同じものが同じものに属し且つ属さないというのは不可能である」  なに言っているんだ、そんなこと当たり前だろう、とほとんどの人は思う。しかし全ての人が同意するわけではない、ボケ老人や重度の分裂病患者は同意しないだろう。  そんなやつらはほっておけという意見もあるだろうが、この世界から脱落したら切り捨てればいいというのは、あまりいい考えではないと思う。  「同じものが同じものに属し且つ属さないというのは不可能である」という公理は、極言すると、自分は自分である、という観念に集約されるだろう。自分は自分であるという確信があるから,例えば、机は机であるとか椅子は椅子であるとか、何らかの意味が発生するわけだろう。  自分が自分であるということは、一見当たり前のように思えるのだけれど、実は全く無条件に与えられているわけではない。これは誰もが知っていることだろうが、人間は自分が自分である必要がない過酷な環境に置かれると、意味を失ってテンションが極端に低下するということがある。人間って、精神的にもたいして強くはない。  公理といえども、人間精神から発生している限り、磐石というわけではない。磐石でないからこそ、アリストテレスは公理を問題にしているのだろう。  公理を問題にしてどうなるのかというと、世界認識がそのとによって磐石になるだろうというものでもない。おそらく、ここまでは磐石でここからはあいまいだという、境い目みたいなものが分かる程度のものではないだろうか。