ハイデガーが「存在と時間」の中で、アリストテレスを評価していたので、アリストテレスをもう一度読んでみようかと思って。もう一度といっても、前回読んだのは25年前、22歳の時だった。  読んだ当時、正直玉砕だった。  文章の意味はわかるのだけれど、この文章が何のために書かれているのかが分からなかった。  27年たって、気持ちも新たに丁寧に読んでみようと思っている。  今日、一発読んでみて、1日だいたい岩波文庫版で120ページぐらいが巡航速度だと思う。   アリストテレスはまず「善」とは何かを問おうとする。「善」とは人間を幸福にするところのものであると。人間の幸福感の根本は何かというと、「徳」だという。 「徳」は二つに分かれる、知性的徳と倫理的徳。「ニコマス倫理学」では、まず倫理的徳のほうを問題にしようということだろう。    善、幸福、徳、という流れが、普通に考えてしまうとよく分からない。そもそも「善」とはなんだ? アリストテレスは何をもって善を善だと言っているのか。   アリストテレスはこのように言っている、「あらゆる学問は何らかの善を目指しその欠けたるところを探求する」  すなわち、アリストテレスの言う「善」は、人間的な思いやりとか優しさとかそのようなものではなく、ざっくり言ってしまうと善とは、「整合性の取れた体系」という程度の意味だろう。  プラトンは「国家」において正義を問題にした。しかし、正義を問題にするということは、 整合性の取れた体系群が存在しているということを前提にしているわけだ。  結局アリストテレスは、プラトンが前提としていたもの、すなわち「個の一体性」から問題にしようとしているのではないかと思う。    まあまあ、このようなものは、ニコマコス倫理学を読み砕くための1つの仮説であって、どこまでも固執しようというものでもない。そもそも重量級の古典を、全く無前提で理解しようというのは無理だ。何らかのバイアスが理解をゆがめることはありえるだろうが、それを受け入れていかないと。      私の視点から、何か見えてくるものもあるだろう。