最近、「朱子学化する日本近代」という本を買いました。これが5500円もして、だから真剣に読もうと思っているのですが、そのために朱子学さらには儒教を勉強しようと思いまして、さらには儒学のアンチテーゼとしての老子・荘子を読んでみました。

中国は伝統的に神という概念に人格的なものが欠落しています。孔子は神概念を「天命」と呼んでいましたが、天命とは運命とほとんど同義です。2300年前の戦国時代の中国においてはすでに、運命という神的なものが人間世界を包んでいると考えられていました。で、そういう世界観の中で社会的な部分を担う論理が儒教であり、個人的な部分を担う論理が老荘思想になります。

老荘思想において人間は、運命の前に謙虚になり、世界の前に絶対無差別を自覚します。その普遍というものは自分の中にもあるし、自分の外にもあります。この辺の考えは、ヨーロッパの神概念などと比べれば、日本人には分かりやすいと思います。

その老荘思想は後漢崩壊後の三世紀以降に急速に中国に広がった仏教と混ざり合い、中国仏教というべき禅宗と浄土宗がうまれます。禅宗は普遍というものが自分の中にあるという考えに立ち、浄土宗というのは普遍というものが自分の外にあるという考えに立ちます。
中国浄土宗は日本において親鸞の浄土真宗によってある種の完成形にいたります。

老荘思想は紀元前からかなり有力な思想でしたが、後漢崩壊後の六朝時代において最盛期を迎えます。それを考えると老荘思想は古代日本においてもかなりの影響を与えたと思いますし、浄土宗系にも老荘思想が濃厚である事を考え合わせれば、日本の伝統ともいえるものの中にも老荘思想がかなり食い込んでいるのではないかと思います。