2巻目後半。  ドンキホーテ一行は宿屋に泊まる。ドンキホーテ本人は疲れてすぐ寝ちゃうんだけど、他の人たちは宿屋の主人とワイワイガヤガヤ。宿屋のお客の忘れ物の中に面白いものがあるという話になった。生原稿の小説で題名が「愚かな物好きの話」。これを読もう、ということになって、ひとりが代表して音読し始めた。  これ読むのはいいのだけれど、文庫本で100ページの量。この小説内小説ともいうべき「愚かな物好きの話」、かなりの分量にもかかわらず、本文とは関係がない。宿屋の客が忘れていった鞄の中からでてきた原稿に書いてあった小説だし、朗読会に主人公は参加していない。   「愚かな物好きの話」の内容なのだけれど、これが意外と面白い。親友同士の男がいて、片方が結婚する。結婚したのはいいのだけれど、自分の妻が本当に貞淑な女性なのかどうか試したくなって、友人に妻を誘惑してくれと頼むんだよね。頼む時の言い草がこんな感じ、「誰からも言い寄られたりしない女が貞淑であったところで、それは当たり前で、別にありがたくもなんともないからね」  友人は一旦断るんだけど、断り方がこんな感じ、「あなたの持っているダイヤモンドが、誰もが認めるすばらしいダイヤだとして、あなたはそれを確かめようとダイヤを金槌で叩いたりする必要はない。もちろんダイヤは壊れないと思うけれど、もし壊れた場合、あなたは全てを失うことになる」  二人ともうまいことを言う。 この小説内小説って一体なんなの?  友人は結局説得されて、親友の妻を口説くのだけれど、口説いているうちに親友の妻に恋をしてしまう。親友の妻も、その真摯な恋に答えちゃうわけだ。  なんだか面白くなってきた。  そのうち不倫がばれそうになる。二人でもう一芝居うって旦那をだまそうということになった。 旦那がクローゼットに潜んでいる部屋で、友人が言い寄り妻が拒絶するという喜劇を行って、これがものの見事に成功する。  この猿芝居が成功する確率は高い。 そもそも最初に妻を誘惑して、その操を試してくれと友人に頼んだのは旦那本人だから。信じたい物語が目の前で演じられれば、信じてしまうのが人情だ。  すなわち、この「愚かな物好きの話」という小説内小説は、ちょっとした多層構造になっている。  かなり出来のいい中篇小説を、セルバンテスは「ドンキホーテ」の中にぶっこんでくる。全体の整合性とかおかまいなしだ。にもかかわらず「ドンキホーテ」は面白い。  いったいこれってどういうことなのだろう。  近代以降、確かに科学は進歩した。しかし文学って進歩していない。