一作目よりいいね。  うがった見方をすれば、近代文学批評みたいになっている。  まず「時計仕掛けのオレンジ」。この本は旧版と完全版というのがあるらしく、 旧版は、ある不良が大人によって更正を強要されるのだが最後にそれを拒否するというところで終わる。。完全版は、その後の主人公は、結局はちゃんとした大人になったというところまでかいてある。   古書店の女店主は、小学生のころ「時計仕掛けのオレンジ」旧版で感想文を書くのだけれど、これがいい。このすばらしい感想文をマルパクリした中学生の女の子に、ちゃんとした大人になるためにはマルパクリはダメだよ、とみんなで諭すという。  これ、結局どういうことかというと、確信のない者は「時計仕掛けのオレンジ」完全版でも読んでいろ、ということだと思う。   つぎに司馬遼太郎の「サラリーマン論語」。 司馬遼太郎といえば、戦後日本の知の巨人だ。司馬遼太郎の論理を現代から考えてみると、近代日本の半分を救ったということだと思う。あの戦争で日本が負けて、日本人は自信を喪失した。戦後、心ある人は、焼け跡に立ち尽くして、日本の近代は無意味だったと思っただろう。司馬遼太郎はそのような雰囲気の中で、便宜的な解決策を思いついた。 日露戦争までの日本はよかったけれども、それ以後の日本はダメになった、というもの。すなわち、近代日本の半分を救おうというわけだ。  私は、このことは事実とは異なるけれども、戦後日本の復興を支える点では役に立ったとは思う。  「ビブリア古書堂の事件手帖 2 」でも、司馬遼太郎好きのおじいさんというのは、読みはするけれど語りはしない。語れば司馬遼太郎の虚構が明らかになってしまうから。このおじいさんが娘に残した本が、司馬遼太郎の「サラリーマン論語」で、これは司馬遼太郎が作家としてデビューする前に書いた戯れ句みたいなものだ。  この本を娘に遺すということはどういうことかというと、自分達は司馬遼太郎の虚構をてこに戦後を頑張ったけれども、現代のおまえ達は司馬遼太郎を超えて行け、ということだろう。   つぎに坂口美千代の「くらくら日記」。  これは「ビブリア古書堂の事件手帖 2 」のプロローグとエピローグにでてきて、完結した話とはなっていない。  坂口美千代というのは坂口安吾の妻だったというのだけれど、誰なのか? 坂口安吾はかなり読んだけれど、あの中に出てきたどの女が美千代なのか。あれかな、屋台の飲み屋に安吾を迎えに来ていた女かな? あの女には、じつは旦那と子供がいたというのだろうか。この美千代が、旦那と子供を捨てて安吾の元に走ったからといって、簡単に批判は出来ない。安吾の周りは、自堕落人間ばかりだし、時代は終戦直後だし。現代の臆病な民法至上主義で全ての時代を計れるわけではないから。     ビブリア古書堂の事件手帖というシリーズはどこまで続いているのか、正直知らないのだけれど、最後はハッピーエンドではないような感じだね。やさしい文章のオブラートに包んではいるのだけれど、古書店の女店主って、反近代、反小説というのが明らかだ。作者は、古書店の女店主が本をめぐって何らかの反社会的な犯罪を犯して、それをバイトの男が涙ながらに反論するというところまで考えていると思う。