「存在と時間」74節、ハイデガーは「命運」とか言い出した。 

人間の存在体制というのは、日常的と本来的と2つあるというのだけれど、この本来的なあり方をする個人のあり方が「命運」であり、これが集団で発動すれば「運命」と呼ばれるものとなるという。  

プラトンの「国家」にも、この天命思想的なものが表現されているし、古代東洋哲学の「孟子」にも天命思想はあった。  

天命思想は、人間の根源的なあり方から立ち上ってくるもので、時代を超えて反復するものだとハイデガーは言う。 

そうだろうと思う。 

日本だって、あの明治維新は、この天命思想の復活というのが、歴史の真相だった。吉田松陰を読んでみて。  

強力な言説が世界を傾けた。私達は今、誰もが現代において心の中に空虚を抱えて生きていると思う。 

なぜ心に空洞があるのか。 

それはかつて人間の心を埋めていた強力な言説が、時と共に失われてしまったからだろう。

マックス.ウェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のなかでこのように言う。

強力な言説がもたらした禁欲思想は、世俗道徳を 支配し始めるとともに、今度は近代的経済秩序の、あの強力な秩序界を作り上げるのに力を貸すことになった。この秩序界は現在、圧倒的な力をもって、その機構に入り込んでくる個人の生活スタイルを決定している。バックスターの見解によると、外物についての配慮は、「いつでも脱ぐことができる薄い外套」のように聖徒の肩にかけられていなければならなかった。それなのに、運命は不幸にもこの外套を鋼鉄のように堅い檻にしてしまった。禁欲が世俗を改良し、世俗の内部で成果を挙げようと試みているうちに、世俗の外物ははるかに強力になり、ついには逃れえない力を人間の上に振るうようになってしまったのだ。
今日では、禁欲の精神はこの鉄の檻から抜け出してしまった。ともかく勝利を遂げた資本主義は、機械の基礎の上に立って以来、この支柱をもう必要としていない。将来、この鉄の檻に住むものは誰なのか、そして、この巨大な発展が終わるとき、全く新しい預言者が現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、それともすべてが機械的化石と化すことになるのか、まだ誰にも分からない』


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