「存在と時間」72節にこのようにある。
「現存在は、みずからの時間に属する今の連続をいわば飛び移っていくように通過するのである。体験がこのように不断に交替していくさいに、自己はある種の自同性のうちで自分を一貫して保持していることになる」
この存在体制は、人間に内在する時間性によってあたえられている、という。
多くの人は自分は自分であると確信している。夜寝る前の自分と、朝起きた後の自分と、同じ自分なのだろうけれど、本当にそうなのか。
そもそもいったい何によって自分の同一性というのは保障されているのか?
初めの、寝る前の自分と起きた後の自分との同一性の確信の話に戻るんだけど、この確信って、合理的推論で与えられるものではないというのは明らかだろう。現存在というものを、私は意識存在と言い換えたいのだけれど、ハイデガーは、意識は今の時間の連続を飛び移るように通過すると言う。そして飛び移る意識の同一性を担保するのは、「ある種の自同性」
ということになる。
でもこれ、意識の同一性を担保するのが、ある種の自同性とかいうのでは、全然答えになってないと思う。
ハイデガー、もうちょっと頑張ってくれないと。
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多くの人は自分は自分であると確信している。夜寝る前の自分と、朝起きた後の自分と、同じ自分なのだろうけれど、本当にそうなのか。
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初めの、寝る前の自分と起きた後の自分との同一性の確信の話に戻るんだけど、この確信って、合理的推論で与えられるものではないというのは明らかだろう。現存在というものを、私は意識存在と言い換えたいのだけれど、ハイデガーは、意識は今の時間の連続を飛び移るように通過すると言う。そして飛び移る意識の同一性を担保するのは、「ある種の自同性」
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