「存在と時間」 第53節 に「多くの人は勝利をおさめるには、あまりに年をとりすぎてしまう」とある。 ツァラトストラだな。ハイデガー、ニーチェを持ち出してきた。 

じつは私、ドイツ語が読める。 Mancher wird auch fur seine Wahrheiten und Siege zu alt .   Mancherは多くの人、wirdは「なる」、auchは「また」、 fur は「ために」、seine は「その」、wahrは「本当の」だからWahrheitは「真実」、undは英語のand、Siegは「勝利」、Siegeは「勝利」の複数形、zuは英語のtoo、altは英語のold。つなげると確かに、「多くの人は真実と勝利を得るには、あまりに年をとりすぎてしまう」となるね。  

真理とは何かというと、個人レベルでの確信の集合と考えることもできる。たとえば数学が真理だとされているのは、多くの人が数学を真理だと確信しているとか。

もう一つの考え方。

数学とは、人がそれを確信しようが確信しまいが真理として存在する。理系人間にはこちらの考え方のほうがなじみ深いだろう。

ここにいたって二つの考え方がある。一つは、数学はただただ真理であるということ、もう一つは、私たちは数学が真理であるという世界に閉じ込められているということ。果たしてどちらが真実なのか。

ハイデガーがニーチェを持ち出したということは、ポスト構造主義的なところを目指しているのだろう。これを簡単に言うと、近代的価値観の相対化みたいなことになるという意味。ポスト構造主義と言っても、ハイデガーのほうがフーコーなんかより先なんだけれど。
 

確信というのは突然与えられることがある。女の子を突然好きになる。何者かに胸をつかまれるような。友達がその子をいまいちだと言っても、自分は彼女を可愛いと確信してしまっているのだからしょうがない。彼女が可愛いという確信は、自分にとっての真理だ。 
確信は真理。 
真理の世界に閉じ込められて、彼女をめぐる物語が始まるという。  

いったい何が私たちを閉じ込めるのか。どれだけ閉じ込められたら、私たちは解放されるのか。  

ハイデガーは、自分はいつか死ぬ、ということを確信してみろと言う。知り合いの葬式に出て、しんみりして、自分もいつか死ぬのかなんて思う、なんていうのではダメだ。夢で飛ぶように、恋に墜ちるように、自分はいつか死ぬということを確信してみろということだ。そうすれば、世界は相対的であることが分かるだろうという。  

私は普通の常識人だから、ちょっと尻込みする。危ない感じがする。

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