昭和の終わりごろまで、事件があると、新聞やテレビでコメントするのは小説家だったりしたことがある。今から考えると、ちょっと変な感じだ。おそらく小説家というものに知的権威というものがあったのだろう。 小説家の権威が失われてくると、次は精神科医とか社会学者とかがその穴を埋めるみたいなことになって、そして今はどうなのだろう。 多くの人は何によって、自分の知的空隙を埋めているのだろうか。  小説家や精神科医が知的権威だったというのは、結局どういうことだったのだろうか? そもそも小説家や精神科医などには、人間を人格として成長させるという能力はない。敢えて言えば「人間通」ということなのだろうが、普通に考えて「人間通」という漠然とした価値観など認められない。かつての知的文化人なるものは、根拠のない空談を唱えていただけで、彼らはまぎらわしいことを言っていても、ほんとうはなお臆病なエゴイストだったというのが真実だろう。   テレビや一般紙の凋落というのは、このような時代変化の結果であって、内実が空洞化したから、その枠組みもふさわしいサイズに縮小していく過程であるだろう。