ハイデガーはヒトラーを支援していたとよく言われるけれども、実際のところ、ハイデガーとヒトラーとの思想的な関係はどうなのだろうか。ハイデガーは難解、ヒトラーは極悪というイメージが出来ているだろうから、おそらく「存在と時間」も「わが闘争」も読んだことのない人が、何かに迎合した言説を撒き散らすということが大いにありうると思う。

「存在と時間」第1篇第5章Bで、人間存在の堕落形態について語っている。堕落といっても、堕落が悪いわけではない。人間は、本来的には世界の中に投げ出されているような存在体制になっている。ギリギリの時にはギリギリの生を生きる。ところが時代が平和になって、日常という恒常性が時代の雰囲気になってくると人間は、空談、好奇心、あいまいさ、という、自分が実存存在である事を忘却した状態になるという。ハイデガーはこれを人間存在の堕落形態だという。  

堕落形態がいいとか悪いとか、そのような価値判断は本来的にはない。危機のときに人間は人間存在に立ち返ってギリギリを生きるし、平和な時には人間は堕落して空談、好奇心を満足させるような存在形態を嗜好するようになる。  

しかし、平和な時代にギリギリの言説を語れば馬鹿扱い出だし、危機の時に空談、好奇心なんてやっていたらつけこまれる。例えば、戦後リベラルの言説というのは、平和な時代の空談、好奇心だったと思う。今危機の時代となって、相手にされなくなってきたということだろう。  

そしてワイマールのドイツ。  

平和が苦痛だというドイツ国民に対して、ヒトラーはこのように語りかける。  

「我々はより深い必然性の認識に従い、平和主義的おしゃべり連中の空想に抗議する。彼らはまぎらわしいことを言っていても、ほんとうはなお臆病なエゴイストだからである。われわれの理想は、公衆のための個人の献身によって実現されるものであって、臆病な知ったかぶりの連中や、自然の批判者の病的な観念によって実現されるものではない」    

ワイマールのリベラル指導層は、平和の水準を見誤り、強力な言説を操るヒトラーという怪物につけこまれたのだろう。  

リベラルにしてみれば、ハイデガーは何で我々の味方をしてくれなかったのか、ということになるだろうが、ハイデガーにしてみれば、リベラルを助ける義理なんてない、ということになるだろう。  

もしかしたら、ハイデガーは、時代錯誤の空談を弄するワイマールリベラルよりも、ギリギリを生きるヒトラーに親近感を抱いたかもしれない。確かにホロコーストは問題だろうけれども、空談の嫌悪感で空談してハイデガーを無視するというのでは、ワイマール的なものは再び足元をすくわれることになるだろう。



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