ニーチェ流のニヒリズムの中に希望を見出す方法。





【ニーチェ流のニヒリズムの中に希望を見出す方法】


仕事でテンションがあがらないとか、人間関係で悩むとか、よくあると思う。実はこれ、簡単な解決方法がある。  

自分の一番大事な価値観とは何かって考えてみてほしい。何を思い浮かべただろうか。だいたい想像はつく。アニメだとか、彼女だとか、仕事上の一部分だとか、だいたいそのようなものだろう。そのようなこまごまとした、もしくは漠然とした価値観を頭上に頂いて、テンションなんてあがるわけないだろう。  

私が薦めるとびっきりの価値観というのは、性善というものだ。性善とは、人間には善というものがそれぞれに付与されている、という考え方だ。この考え方では根っからの悪人というものは存在しない。一見悪人に見えたとしても、それは善が様々な事情で厚く覆われていると考えるわけだ。    

会社の取引先の知り合いに、フィリピンパブの好きなヤツがいる。独身の50歳のオヤジでフィリピンの女の子が大好きという。 

フィリピンパブの何がいいのか。彼が言うには、

「フィリピンパブのフィリピンの女の子って、日本語ほとんどカタコトじゃん? でもそのあんまり喋らないのがいい。日本人の女ってウルサイじゃん」

と言っていた。最低だろう。   

日本人の女は日本語を喋るからうるさいという。  
全くひどい話でね、女性蔑視もここに極まれりだよ。

この話に、どう気持ちの上でリアクションするか? それは女性蔑視ではないのかと考えてしまうのは論外だ。考えただけで疲れるね。スルーするっていうのもどうか。モヤモヤした
気持ちが残ったりしたら、疲れの原因となる。   

こういうときに性善説だ。このオヤジにも心の中に善があると、そしてその善は厚く厚く覆われている。彼を厚く覆っている何物かを拭い去り、彼の善を救うことは出来るだろうか。もちろんそんなことは出来ない。そんな暇もないし、能力もない。最後に彼の事をどのように思うかと言うと、「かわいそうに」。   

この方式だと精神的エネルギーをほとんど使わない。坂道を自然と下って、ただ最後にかわいそうと思うだけだから。この方式でエネルギーを節約すれば、トータルでかなりのものになる。   

大事なことは、こだわらないということだ。意識の中での最も高い価値観ですら変更可能であると認識することだ。自分が自分であるという確信は心の深いところにあって、意識の表層の価値体系を変更したからといって別に動揺したりしない。力を節約できる分、意識を合理化したほうが得だろう。

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