こだわりを持って生きている人っている。周りの人からは、理解不能の変人扱いされがちだろう。このような人は、何らかの思いが特定の物に凝固してしまっているのだろう。他人からは、その物を合理的に推定できないから、理解不能扱いされるわけだ。それぞれの趣味を持つ変人ごとに集まってコミュニティーが出来るのだろうけれど、彼らは互いに理解しあっているのだろうかと思う。思いが同じ物に凝固しているとしても、そこに至った過程というものは、それぞれ異なるだろうし、石の思いの孤独みたいなものが癒されるなんてことはないだろう。   近代社会というのは、こだわりが否定されて合理性が重視される世界だ。伝統が否定されたなら合理性に寄りかかるしか道はない。残酷なことになっている。こだわりは追い詰められている。石の思いは、合理性のなかに自分が消えてしまうような不安を抱えているだろう。   どうすればいいのか。こだわりを捨てて自分の世界観を合理的なものに再編成するべきなのか。今から? とてもムリだろう。  何であいつは、みたいな議論って会社でよくあると思うのだけれど、私は「何で?」と問うべきではないと思う。おそらくそこには残酷な答えがあるのだろうし、誰もそんな残酷さを本当に知りたいなんて思ってないだろう。  攻撃する必要はない。なつかれない程度にそっとしておいてあげればいい。