自信がないとか、自己主張できないとか、自分の弱さに苦しむということはある。しかし、私はそのような人こそ誠実な人間だと思う。だってよく知りもしないことを、強弁したり出来ないよね。社会にでればこれが当たり前なんだなんて言われるだろうと思うのだけれど、そんなインチキ詐欺師みたいな言説を信じて、自分の一生を終わるなんて恐ろしい気持ちになるのもわかる。   自分に自信がない理由を突き詰めて考えれば、この世界が何故このようにあるのか分からない事にあると思う。自分の中で、確固とした世界観を持てないから、自分にとっての世界が不安定になる。   では、確固とした世界観とは何か? この世界は何故このようにあるのか?  この世界が一つしかないとするなら、その世界の中に暮らす人にはこの世界が絶対となるから、この世界は何なのかと問うことはできない。この世界は何故このようにあるのか、を問うためには、別の世界を発見して二つの世界を比較しなくてはならない。世界を相対化するとは比較にある。ニーチェは現代世界を相対化しようとして、ギリシャ悲劇時代を持ち出した。フーコーやウェーバーは近代以前の世界を持ち出すことによって近代を相対化しようとした。マルクスも似たようなものだろう。これはこれで悪くないと思うのだけれど、はっきり言えば物足りない。しょせんは西欧中心主義で、このような論理では日本人は救われない。もし人類の歴史が西欧中心だとするなら、日本としても受け入れなくてはならない。しかし実感としてその通りだろうか? 日本だけでなく、東アジアの長い歴史を思い返した場合、引っかかる所はないだろうか?   ここまで考えた時に、宮崎市定の凄みというのがわかる。宮崎市定はユーラシア大陸を中国、西アジア、ヨーロッパと3つにわけて、3000年にわたって互いに影響しあっていると喝破する。現代は確かに西洋文明の圧倒的な時代であるけれども、それは西洋人の遺伝子が優れているというものではなく、長い時の中での、現代においての切り口的現象に過ぎないという。これはべつにルサンチマンというものにではなく、合理的推論と判断せざるをえない。  よく考えて欲しい。  この世界が何故このようにあるのかを知るためには、別の世界との比較が必要だ。ニーチェやフーコーやウェーバーは、比較対象を自らの西洋文明の過去の中から調達してきた。しかし宮崎市定は、自らの文明を相対化しようとするとき、西アジア、ヨーロッパを引っ張り込んだ。宮崎市定の歴史観が整合性を持つとき、宮崎市定とニーチェと、どちらの歴史観がより整合性を持つだろうか?  内藤湖南という人が、中国の中世と近代との境目を宋初においた。こんなことを言うとなんなのだけれど、これって内藤湖南の思いつきレベルだと思う。だって戦前において、中国のルネッサンスがヨーロッパのルネッサンスに先んじているなんて、主張しにくいと思う。だって西洋は列強の集合だし、中国はあの体たらくだし。しかし、宮崎市定は、中国において近代は宋に始まる、という言説を確信して、自らの着想を育てたのだと思う。天才とかそういうんじゃない。一つの言説を強烈に確信するという、そこがすごいよ。日本人は、宮崎市定という思想家をもったことを誇りに思うべきだ。