福沢諭吉というのは、文章は面白いし頭は抜群に切れるとは思うのだけれど、論理的な体系を創ったというわけではないだろう。福沢は、その時々に自分にとっての合理的な発言をしていただけで、別に人生を貫いて首尾一貫した論理を語ったというわけでもないと思う。福沢の発言を首尾一貫したものとして理解しようという考えみたいなものは今でもあると思うけれど、そんなの無駄じゃないかな。例えば、福沢の脱亜論の思想を「学問のすすめ」のなかに見つけようとしても無駄だという意味で。 脱亜論というの思いつきのレベルだろう。ただ思いつきにしてはよく出来ている、福沢諭吉だから。   一方、徳富蘇峰は変節とか言われているけれども、首尾一貫した思想というものがあったと思う。蘇峰の言動が揺れているように見えるのは、世界が揺れているからであって、蘇峰は一本筋は通していると思う。   宮崎市定の「中国史」の明の記述。  明の時代というは、爛熟の時代とされている。内藤湖南によると、中国の近代というのは宋に始まる。だから、明というのは近代2周目なんだよね。明代に祝允明(しゅくいんめい)という人がいた。「中国史」にこのようにある。「経史に通じ、文章がうまく、あらゆる分野に独自の見解を有したが、実際の生活には必ずしも主義に拘泥しなかった。彼の処世哲学は、馬鹿者は本気に相手になるな、ということで、こういう場合は自己の主張を曲げても恥にならないのであった」  これは福沢諭吉だろう。馬鹿が馬鹿言ってる、というのは福沢の口癖みたいなものだった。祝允明(しゅくいんめい)というのは、近代という時代における都市部知識層の精化みたいなものだろう。祝允明(しゅくいんめい)と同じ時代に、王陽明がいた。宮崎市定がいうには、「陽明学とは、田舎くさい意思の哲学」 という。いわれてみればその通りだ。私は陽明学が好きだから、田舎くさいというところは引っかかるのだけれど、宮崎市定の陽明学に対する褒め言葉としても受け取れるし。 それはいいとして、田舎くさい意思の哲学、これは徳富蘇峰だろうと思う。   歴史って、起こった出来事をそのまま牽強付会的に丸暗記していたのでは、正直何がなんだかわからなくなる。無駄なところをそぎ落とすことで、形みたいなものが現れてくる。明代の不必要なものをそぎ落としてみたら、日本近代の福沢や蘇峰的なものが現れてきたなんて、不思議な感じがする。