宮崎市定は中国史をすばらしく相対化して記述している。これは並大抵ではない。  歴史を相対化して考えるというのは、実は非常に難しい。例えば、あの太平洋戦争のことを考えてみればよくわかる。普通に考えてしまうと、強大なアメリカに真珠湾攻撃なんて、今から思うと、戦前の日本人は馬鹿かキチかその両方かということになりがちだ。負けるとわかっていたのに何で戦うの、バカじゃないの、という論理だ。私は団塊ジュニアだけれども、私のおじいさん達は戦争世代だったけれど、今から思い出しても彼らは決して馬鹿ではなかった。現代の論理で戦前を推論すると、あたかも彼らは馬鹿だったかのように判断されがちなのだけれど、それはただ単に全く自分勝手な論理だ。戦前の日本人には彼らなりの世界観みたいなものがあったのだろうと思う。  私たちは、現代の価値観を過度に重要視して、過去の価値観を無意識に軽視してしまう。全く残念な態度だ。知力を振り絞って、戦後と戦前の歴史を相対化するべきなんだよ。ところがこれがなかなか難しい。これをやり遂げたとして、例えば次に明治維新から太平洋戦争までの歴史を考えてみる。明治維新と太平洋戦争とは、70年ほどの期間しか存在しない。にもかかわらず、明治維新と太平洋戦争をつなぐ歴史観、日本近代を貫く歴史観、さらにいえば、日本近代を相対化する歴史観、そのようなものを読んだり聞いたりしたことがあるだろうか? かなり日本近代史を読んだけれども、日本近代を相対化した言説というのを、私は徳富蘇峰一人のものしか知らない。司馬遼太郎などは、日露戦争までの日本を善玉、日露戦争後の日本を悪玉と設定することによって、日本の近代史を説明している。善玉日本と悪玉日本をつなぐ人物が乃木大将であって、乃木希典を貶めることで、日露戦争前の日本と後の日本とをつなごうとしている。   そのような断絶した歴史観が、真理を表すものだろうか。司馬遼太郎の失敗は、日本近代の精神史記述の失敗だろう。    宮崎市定は、このような全く困難な歴史の相対化ということを、中国史という悠久の時の流れの中でやろうとしているわけで、これは全く度肝を抜かれる。おそらく様々な批判にさらされているだろうと思うけれども、チャレンジというだけでも、すばらしいチャレンジだと思う。