秦の始皇帝がなぜ中国を統一できたか? ってよく寝る前とかに考える。紀元前400年から紀元前200年まで、200年の中国戦国時代。200年、しのぎを削った七つの国からなる世界が統一されるなんてただごとではないと思うんだよね。総力戦体制が200年続くと、愛国心も生まれるだろう。斉と燕の戦いにおいても、斉が燕を攻略すれば、楽毅によって燕は回復されるし、燕が斉を攻略すれば、田単によって斉は回復されるし。普通はこんな感じだと思う。現代的に考えれば、植民地というのはコスト的にペイしないというのもあるし。  世界を統一するなんて並大抵の事ではない。秦という国に圧倒的な国力があって、さらに世界を統一しようという、天の声というか人民の声というか、まあそんな時代の後押しみたいなものが二つそろわないと、世界統一なんて無理だと思う。ウエスタンインパクトなどといっていた近代の強力なヨーロッパ文明だって、東アジアまでは征服できなかった。現代はヨーロッパ文明すら力及ばず、現状は百何十カ国が自治権を固定されるにいたる群雄割拠固定状態だ。  秦に世界を統一させた時代の風がなんだったのか。 このような設問の答えは非常に難しく、遠い未来に世界が何ものかに統一される時に、天才によって事後的に理解されるレベルのものだろう。 ミネルバのフクロウは夕暮れに飛び立つ。  ただもう一つの設問、秦という国はどのようにして強勢になったのか。これは比較的答えやすい。宮崎市定は、騎馬戦術を最大限に利用したのは秦だ、という。 これは一理ある。 戦国以前は、馬を戦争に利用するときは、4頭の馬に車を一台引かせて、それを戦車と称し、軍の主力としていた。小回りがきかなそうな感じがするよね。ところが、戦国時代、趙という国の武霊王が「胡服騎射(こふくきしゃ)」と称して、北方の蛮族を真似して、馬に直接乗って戦うという戦法を採用した。宮崎市定の言う、秦が騎馬戦術を最大限に利用したというのは、この胡服騎射だ。武霊王は胡服騎射を採用したために、いい死に方をしなかったらしい。そんな記憶がある。結局、4頭の馬に車を一台引かせて戦うという伝統が優先されて、馬にまたがって戦う胡服騎射なんていうものが、いくら効率的でも伝統世界では受け入れられなかったということだろう。秦という国は、戦国時代においては新興国で、胡服騎射が非伝統的だなどという意見が少なかったのだろう。合理的な胡服騎射という戦法を大々的に採用したという。胡服騎射だけではなく、だいたいにおいて秦では万事がこのようなものだったのだろう。 伝統の縛りが薄いから、より合理的な世界観を速やかに採用できたということだろう。  アメリカが伝統的な縛りがないから、より合理的な社会体制を採用してヘゲモニー国家となったのと似ているところがある。  宮崎市定という人物はたいしたものだ。なかなかこの境地には至らないようなレベルだろう。