哲学者とソフィストの違いとは、「真実を求めることと、真実を求めるふりをすることとの差」であるだろう。

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【真の哲学者とは】


納富信留(のうとみのぶる)の「哲学の誕生 ソクラテスとは何ものか」を読んだのだけれど、納富信留なる人物はかなり優秀だと思った。Wikipediaによると、元国際プラトン学会会長らしい。国際プラトン学会なるものがどのようなものか全く知らないのだけれど、プラトンの言説に対する誠実な態度から、彼のプラトン基礎研究というのは信用できると判断した。   

納富信留によると、ソフィストの言説とソクラテスの言説というのは、古代ギリシャにおいてはとりたてて区別されていなかったという。クセノフォンにおいては、ソフィストとソクラテスとはたいして区別がなかったという。  

私がいくらばかげた暇人だからといって、クセノフォンまで読む時間はない。   

プラトンとクセノフォンを読み比べて、プラトンこそがソフィストと哲学者との違いを主張しようとしたという納富信留の思いというのは、受け入れてもいいのではないかな、と考える。    

ではソフィストとソクラテスの違いとは何か?   

真実を求めることと、真実を求めるふりをすることと、いったい何が違うのだろうか。

プラトンによると、ソクラテスは「知の大家」のところに行っては、その知の体系をぶち壊そうとしていたという。この世界には様々な知の体系というものがある。心理学とか、社会学とか数学とか。個人にはこの世界における生活哲学というものもあるだろう。

ソクラテスは、このようなものをグラつかせに、わざわざやってくる。アニメオタクのところに、真実の女の子のほうがよっぽどいいよとリア充が説教しに来るようなものだ。頼みもしないのに、オタク世界を相対化しようとするわけだ。 

ソクラテスは、古代ギリシャ世界において、そこに存在する様々な価値観を相対化しようとした。それに対して、ソフィストは既存の価値観の尻馬に乗ろうとしていた。微妙だけれど、決定的に違う。  

ソフィストというのは単なる知識人で、ソクラテスというのは世界を相対化する者だ。  

ソクラテスが価値観を相対化して世界観がグラついている状況において、プラトンは世界をより合理的なものに再編成しようとした。プラトンとソクラテスというのはセットなんだよね。ソクラテスが社会の価値観を崩して回り、プラトンがその価値観群を再編成するという。プラトンの「国家」という、あの強力な言説集合はこのようにして生まれたと思う。   

このように考えてくると、ヒトラーの「わが闘争」という書物がどのようにたち現れてきたのか分かってくる。ニーチェがソクラテスで、ヒトラーがプラトンに当てはまる。ニーチェは近代の価値観を相対化しようとして、ヒトラーは結果グラついた世界観をより合理的に再編成しようとしたのだろう。だから、プラトンの哲人国家とヒトラーの第三帝国と、結果的に似ているところが現れるのだろう。   

プラトンの言う哲学者とは、真実を確定する者ではなく世界を相対化する者だ。哲学がプラトンに始まるとするなら、ニーチェこそが哲学者で、カントやヘーゲルはソフィストということになる。ニーチェは、「プラトンごときが」と書き散らすところもあり、かなりプラトンを敵視していたけれど、ただ2000年という時の流れが残酷なだけで、ニーチェとプラトンがかなり近いとするなら、それは皮肉なものだよね。  
イロニーだ。

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