20世紀という時代では、科学が発達すればあらゆることがわかるようになると思われていた。楽観的だったと、今さらながら思う。  この程度のペースで科学なるものが進歩したとしても、わからないであろうことが多すぎる。意識とはなんなのか、生物の進化とはなんなのか、このあたりを全く答えらないのだから話にならない。結果、現代がなぜ国家なるものによって覆われているのか、歴史の発展は存在するのか、ということから、現代日本のうつ病とはなにか、引きこもりとはなにか、明確な答えがないままの百家争鳴状態だ。   私が思うに、おそらく何かの力の変数みたいなものが人間の認識に欠けているのだろう。べつに神様とかそういうのではなく、人間には認識しにくいようなファクターみたいなものが一つ以上存在しているのではないだろうか。  そうだとするなら、傲慢は罪だ。  例えばデカルトが 「我思う故に我有」と言ったとする。このような言説というのは、結局、わからないであろうことをカッコに入れて、わかることだけで世界を形成してみましょう、ということになってしまう。そして形成された世界というのはもちろん歪んだものになるだろう。人間に認識できない力が、この世界を構成している一つの要素だとするなら、人間はこの世界について明確な断定は出来ないことになる。  おそらくそんなことだと思うよ。  悪く言えば、この世界は認識できないということになる。しかし、良いようようにとれば、あらゆる断定的な人間世界の言説は、上からかぶせていくことが出来るということになる。   この世界の流行りとしての真実というのは、欧米の有名な社会学者が唱えているとか、東大の名誉教授が呼号しているとか、そのような全くいい加減なもので決定されたりする。信ずるに足らない。