「わが闘争」を読み終わって思うのは、ヒトラーとは、チンピラでもごろつきでも馬鹿でも狂人でもないということだ。ヒトラーの思想を一言で言えば、総力戦思想となるだろう。第二次大戦前に総力戦思想を唱えた者は多い。日本で言えば北一輝だって、革新官僚だって総力戦思想だった。226事件で処刑された将校たちも、その動機は、このように農村が疲弊していて兵隊個々のふるさとが劣悪なら、トータルとして日本が守れないだろう、というものだった。これも広義の意味の総力戦思想だろう。ルーズベルトもスターリンも、やったことは、国の合理化、すなわち総力戦思想の実現化だ。    様々な総力戦思想の中で、全くずば抜けた完成度を持つ言説が、ヒトラーの「わが闘争」だと思う。   現代民主主義は総力戦思想の中から生まれてきた。だから逆説的に聞こえるかもしれないけれど、ヒトラーとは民主主義を破壊するものではなく民主主義をつくるものだ。   そもそも民主主義とはなんだろうか。普通選挙が行われ議会が存在すれば、その国は民主主義といえるのだろうか? 日本に普通選挙法が施行されたのは大正14年、実際に普通選挙が行われたのは昭和2年だ。そして戦前の日本は果たして民主国家だっただろうか。事実はそうではない。昭和初期の日本は、寡頭制国家、金持ち支配制国家だった。普通選挙が行われているからといって、それだけで民主主義とはいえないということになる。  再び問う、民主主義とはなんだろうか。 民主主義世界とは、この世界で社会の成員それぞれが、自分が社会の中で何が出来るのかと問われる空間ではないだろうか。出来ないことをやれといわれているのではなく、出来ることを出来るだけやれといわれている。現代日本には年金とか国民保健とかあるけれど、日本国民が、出来ることをできるだけやれるようにというための社会保障だろう。  ヒトラーは、ワイマールという寡頭制国家の堕落形態から、新しい民主国家を創ろうとしたというところは認めなくていけない。ヒトラーというのは普通に狂人扱いなのだけれども、あのホロコーストというのがあまりにひどいから、誰も何も言わないということになってしまったのだろうと思う。私だって、ヒトラーを擁護するというのは気が引ける。   私が小学生の時に、図書室にアウシュビッツについての本があって読んじゃったんだよね。40年近く昔だから、子供にふさわしいかの内容までの検閲というのがなかったのだろう、きわめて残酷な内容だった。一ヶ月に一回か、アウシュビッツにおいてユダヤ人の囚人は使えるかどうかのチェックのために全裸で看守の前を順次歩かされる。しょぼくれていたらガス室送りだから、生気を出すために囚人は太ももや顔を手で叩いて赤味を出したという。40年たっても小学生の頃に読んだこの部分を覚えている。  この世界はきれいごとばかりで成り立っているわけではない。