ヒトラーというのは、超一級の思想家だ。「わが闘争」を誠実に読めば、そのような結論に至るしかない。  ニーチェ哲学というものがある。 天才ニーチェ。 世界を相対化する者。 フーコーもウェーバーもニーチェの哲学のスカートのすそをちょっとめくったというレベルだろう。ニーチェでさえ自分の哲学を断片の言説でしか表現できなかった。ニーチェの哲学を一言で言えば、近代世界の主要な価値観を相対化すれば、強い意志の支配という真の自然が立ち現れるだろうというものだ。キリスト教や民主主義を相対化すれば、それだけで新しい世界が出現するというものでもないだろう。ニーチェには足りないものがある。この世界と新世界とをつなぐ環みたいなものが欠けている。この環がないから、ニーチェの哲学は体系にならなかったし、ニーチェの言う超人というのがよくわからなくなる。  ヒトラーはニーチェが見つけられなかった環を発見する。これが、人種。ドイツの血。アーリア人。  アーリア人なる優秀な民族の血なるものをてこに、人権、平等、民主主義という観念集合を、別の世界観に転換していこうという。「優秀なアーリア人」という概念を導入することによって、ニーチェの限界を突破しようというのだ。ここで問題となるのは、アーリア人なる概念の正当性だろう。科学的に考えれば、そのような概念は認められないということになるだろう。ヒトラーの狂気というのは、このあたりに由来すると思う。  ヒトラーの巧妙なところは、アーリア人なる概念の自立性は科学的に証明される必要はない、ただドイツの民衆にのみ信じさせればよいと考えたところだ。そのためのプロパガンダとなる。    全くすごい、ニーチェの上をかぶせていこうというのだから。   ワイマール時代のドイツのエスタブリッシュメントが、ヒトラーに政権を任せてみようと考えたのは全くの迂闊だったね。ヒトラーとは、守られてきたハイブルジョアが同じ土俵に立って勝てる相手ではない。   「わが闘争」における言説は、全く強力だ。ここまで来ると、プラトンレベルだろう。 戦争が起こって、このような強力な言説を操るヒトラーがいたとするなら、未来は見えないわけだし、ヒトラーにBETするという気持ちもわからなくもない。