ヒトラーの哲学思想というのは間違いなく一級品だ。ニーチェレベルだ。同じ内容にもかかわらず、ニーチェの思想ははよくて、ヒトラーの思想はダメだという論理は成り立たない。  ヒトラーの哲学が一級品だというのはしょうがない。歴史上の悪人の思想が、善人の思想を凌駕しているというのは残念ではあるのだけれど、事実だから認めざるをえない。  では、ヒトラーの歴史認識というのはどうだろうか。「わが闘争 第10章 崩壊の原因」にこのようにある。  「いまや、貧乏と富裕の激しい変動もかなり目立ってきた。過剰と貧困が相互に隣りあって生活していたので、その結果は非常に痛ましいものがありえたし、またかならずそうならざるをえなかった。困窮と頻繁な失業は人間をもてあそびはじめ、そして警告として不満と憎悪を残したのである。ついに、もはやこれ以上やってゆかれないだろう、という信念が一般化するまで、その不満は広まったのである。しかし人々は、なにが起こったらよいのか、ということについて確固とした考えを持たなかったし、また持つことすら出来なかったのである」  ドイツのことはよくわからないよ。ただこの言説を戦前の日本に当てはめてみた場合、胸に来るものはないだろうか?  ここまでざっくばらんに、戦前の日本の事を語ってくれた社会学者がいったい何人いただろうか?  ヒトラーはさらにこのように続ける。  「このような金が猛威を振るう時代において、貴族はますます彼の生まれの人種的前提を失い、大部分はむしろ「卑族」とでも呼ばれたほうがずっと似合うほどになった」   昭和初期、日本において華族とは何をしていたのか。     華族ではなく卑族wwwww     ヒトラーの歴史認識は間違ってはいないと確信してもいいレベルだろうと思う。   ヒトラーの哲学は一級品で、歴史認識も超ハイレベルとするなら、優生学にいたるヒトラーの思想にはかなりの注意深さをもって身構えなくてはならないということになる。「わが闘争」を批判的に読むというのは、守られたインテリが味方の多勢を頼りによく分かりもしないことを小ばかにしてよろしくやれるというものではない。   この世界には簡単に判断が出来ないというものが存在する。