ヒトラーは狂人で、これに騙されたドイツ人は馬鹿みたいなイメージというのはある。日本も同じで、戦前の日本人は、馬鹿かキチかその両方かということになりがちだ。  本当にそうなのだろうか?   「わが闘争 第6章 宣伝の目的」 にこのようにある。     「しかし民族がこの遊星の上で自己の生存のために戦うならば、ヒューマニティーとか、美とかの考量はすべて無に帰してしまう。というのは、これらの観念はすべて宇宙のエーテルの中に浮かんでいるのではなく、人間の幻想から生じたものであり、人間と結びついているからである。人間がこの世から分離すれば、概念もまた無に消え去ってしまう。というのは自然はそれを知らないからである」  この言説はかなりレベルが高いよ。普通に生活していたら、そもそもヒューマニティーとか美とかという固定観念を相対化しようなどとは思わない。このような強力な言説というのは、いくら天才といえども簡単に手に入るものではない。何らかの時代の押し上げというものが必要だ。ヒトラーは「わが闘争」の中で、あたかも最初から自分は視野が広かったみたいなことを書いてあるが、これは疑問だ。ヒトラーは第一次世界大戦でドイツ軍人として従軍していたのだが、ヒトラーの根本思想は戦中に起因していて、「わが闘争」の中では、戦前の生活状況もこの思想によって事後的に再編成されていると思う。実際に大戦争において思想を悟る鋭敏な感性の持ち主というのは存在する。日本で言えば、坂口安吾がまっさきに思い浮かぶ。   このヒトラーの言説に対抗するのは簡単ではない。あらゆる観念が相対化されるのなら、生存のための戦いのみが残されている、ということになるよ。相対化を拒否するような自分の観念があるかどうかが問われている。  問われているといったって、答えるのも簡単ではない。