ニーチェは「道徳の系譜」の終盤になって、ついにプラトン批判を出してきた。プラトンの言説こそが、近代以降のヨーロッパをここまで持ち上げたところの核心であるとニーチェが考えているのは間違いない。  

「道徳の系譜 第3論文 19」 

「真当の嘘、正真正銘の断固たる正直な嘘、(これらの価値についてはプラトンに聞くがいい) は、彼らにとってあまりにも厳しすぎ強烈にすぎるものであるだろう」  

プラトンの正直な嘘とは何か。結論だけいえば、正義がないのなら、それを作り出さなくてはならない、ということになるだろう。

プラトンは「国家」の中で、哲人国家という正義の国家を仮想した。そして現実に存在する様々な国家体制というのは、哲人国家からの堕落形態であるとした。これだけをみると、別にプラトンに何の問題もないように思う。

しかし、もしプラトンが正義という概念を捏造したとしたならどうだろう。まあ、正義の概念の捏造というは言い過ぎかもしれない。しかし、プラトン以前においては、正義という概念はあったとしても、きわめてあいまいだったとして、プラトンが国家体制の価値に明確な序列をつけることで、正義という概念が明確になったとしたらどうだろう。

正義とは、価値が秩序付けられた世界に現れる一つの概念だろう。プラトンが行なったことは、「正義があいまいなら、それを確定させなくてはならない」ということになる。これがニーチェの言う、正直な嘘、ということだろう。   

近代世界というのは、正直な嘘を頂点として、下降すればするほど、その合理性が怪しげな価値体系の集合として存在している。プラトンレベルの正義というのは、誰もが実践できるというものではない。ニーチェの、「それは彼らにとってあまりに強烈すぎる」 とはこのことだろう。

ニーチェは、ルサンチマンという言葉まで創って、この世界の弱い輪を攻撃して、さらにプラトンの足元を、さらにはこの世界の足元を掘り崩そうというのだろう。   

だから、ルサンチマンという言葉は、使うことにかなりの覚悟がいるよ。ルサンチマンとは、この世界をひっくり返すためのニーチェ渾身の言葉で、世界がひっくり返れば、自分もただではすまないのだから。ある意味、呪いの言葉だ。

関連記事