「善悪の彼岸」にいたって、ニーチェの論理は明快だ。言葉は率直だし、評論の対象は明確だし、哲学というのは、このように誠実でなくてはいけないと思う。

「善悪の彼岸 39」   

「真理のある部分の発見ということでは悪人や不幸者の方が有利であり、成功する確率がより大であるということは疑いの余地がない」   

これを控えめにいうと、「善とか悪とか、そのようなものは人間世界の道徳上の事であって、世界の真理というものとは実際何の関係もない。しかしあまりに現世の善悪にこだわりすぎると、とらわれすぎて世界の真理を理解する妨げにすらなるだろう」、このようになるだろう。  

これは、日本人にはきわめて分かりやすい逆説だと思う。  

親鸞の「悪人正機説」の「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」とはこのことだろう。   

体制に取り込まれた後の浄土真宗が、この親鸞の言葉を改変して、悪人は悪人の事ではないとか、ここでいう善悪とは道徳上のことではないとか、そのようなねじくれた解釈をするだろうことはありえる。しかし親鸞の「悪人正機説」は素直にそのまま読むべきだろう。そもそも、日本においては死ねば皆仏であるということは岩盤であって、悪人が死後も地獄の業火に焼かれるなんていうのは、おとぎ話レベルの話になってくる。  

ニーチェが「真理のある部分の発見ということでは悪人や不幸者の方が有利であり、成功する確率がより大であるということは疑いの余地がない」と言ったとき、西洋人はある種の衝撃を覚えるだろうが、日本人にとっては分かりやすい論理だろうと思う。    

そもそも親鸞には、衆上を救うという渾身の使命があっただけで、全く当たり前なのだけれど、近代市民社会の秩序を維持しようなんていう思惑なんてものはなかっただろう。

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