昭和初期までは、世界は金本位制だった。金本位制というのは、列強各国の通貨を金にリンクさせるというもので、実質の固定相場制というものだ。当時のヘゲモニー国家はイギリスだった。イギリスはポンドを基軸通貨として、世界をコントロールするという方式をとらず、ポンドを金とリンクさせて、「列強の皆さん、皆さんの通貨も金と連動させてくださいね」という方式をとった。だんだんと金本位制に参加するというのが、列強の証となってくるわけだ。 金本位制という、本来は多くの選択肢の一つであるところの通貨制度に、徐々に価値が付与されてくる。経済学の論文等で、金本位制というものがどれほど立派なものであるのかということが喧伝されてくる。何十年かをかけて、そのような価値が金本位制に積み重ねられてくると、金本位制こそが守るべき価値であると考えられるようになってくる。  昭和初期から100年近くたった現在、世界は変動相場制だ。あの金本位制とは何だったのだろうかと私なりに考える。  結局、金本位制とは、列強のブルジョアが自分の資産を守るための方便だったということではないだろうか。ひどいインフレになって金融資産を失うことの恐怖心が、通貨と金をリンクさせるという、まあなんというか、世界の金融政策をある種の偏狭に押し込んだということだろう。  金本位制とは、金持ち達の必要性に迫られた結果の一つのあり方であって、それでなくてはならないという必然性の結果ではなかった。   今の金融体制も、同じようなことが言える可能性もあると思う。私達は今、変動相場制の世界の中にいるから、明確にこの世界の金融体制を相対化することは出来ない。かつて金本位制の世界に暮らした人々が、金本位制を相対化できなかったことと同じだ。  金融相場制に参加する各国の中央銀行は、金を操る権限を国家という枠の中で与えられているのだから、借金をほぼ永遠に先送りできるなどという権能が存在するなどという論理がある。このような論理を有名な学者なるものが、海外の権威なるものが補強しつつあるのだろう。  このような知の押し売りは、信じるに足らない。変動相場制における各国の債務の先送り理論というのは、もしかしたら誰かの必要性によって生じている可能性がある。  かつてのように。