ニーチェ「悦ばしき知識 112」で、「誰一人その推進力を説明するわけにはいかない」 とある。

例えば現代においても誰一人として、生物進化の推進力を説明したものはいない。


確かに生物の神経系は時間とともに複雑になってきた。クラゲとキリンを比べたら、キリンの神経系の方が複雑だ。確かにこれは進化と言えなくもない。しかし、その神経系の複雑化の推進力は何かというと、全く分かっていない。

この世界を支える概念の一つに進歩というものがある。現代の進歩史観を支える大きな柱が、ダーウィンの進化論だ。  

進化論でよく例としてあげられるのが、キリンの首だ。進化論は適者生存の論理で、高い木の葉をたべることの出来るキリンが選別され生き残り、キリンの首は長くなったというものだ。まあまあ、首ぐらいはね、適者生存で長くなるだろう。しかし、キリンの首が長くなるためには、首だけではなく、それを支える全体の骨格もより強固にならなくてはならない。突然変異が体全体に同時多発するなんて確率的にありえない。   

つまり、進化論という概念には、科学的整合性というものが極めてあいまいだ。

科学的整合性のあいまいなダーウィンの進化論が、これほど現代において人口に膾炙しているのは、進化論が科学的事実であるというのではなく、進化論が現代の秩序を支える重要な概念だとして、社会から特別に価値が付与されているからだろう。

ニーチェ哲学の一面というのは、このような近現代の価値体系の解体ということだと思う。

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