私は、プラトンの言説が西洋の価値観を傾け、あのように巨大にしたのだと考えている。プラトンを読んですごいとは思うけれど、自分はヨーロッパ人ではないから、プラトンの言説がこの世界を傾けたなんていう実感はない。日本もまがりなりに先進国として、近代以降の世界の中で戦ってきた。日本をここまで押し上げたものは何なのか。日本にも、その世界観を傾けるような強力な言説があったはずだ。   
日本史上、最大のイデオローグは吉田松陰だろう。吉田松陰の高杉晋作への手紙にこのような言葉がある。    

死は好むべきにあらず、また憎むべきにもあらず。
道尽き心安んずる、即ちこれ死処。世に身生きて、心死する者あり。身滅びて魂存する者あり。
心死すれば生くるも益なし。魂存すれば亡ぶるも損なきなり。  
死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし   

 これを読んだ高杉晋作の魂の震えまで伝わってくるような、まさに圧倒的な迫力だ。吉田松陰も、全くの無からこの境地に到達したわけではない。この吉田松陰の言説に対応する孟子の言説がある。告子章句上10の孟子を私の現代語訳で以下に紹介する。   

「孟子は言う。生きるということも私が望むところであり、正義というのも私が望むところだ。二つのものを兼ねることができないのなら、生を捨てて義をとろう。生きるということも、私の望むところだけれども、それよりも大事なことがある。かりそめに生きていればいいというわけではない。死もまた私の憎むところであるが、死よりも大事なことがある。ためらった時、卑怯者という心の声に従わなくてはならない時がある。もし生きるということより大事なことがないのなら、生きるためだけのために何でもやるようになるだろう。死ぬことが最も恐ろしいことであるのなら、死なないために何でもやるようになるだろう。しかし人は、こうすれば命が助かるといっても、敢えて拒否することもあるし、このままでは死ぬという時も敢えてまっすぐ道を歩く時もある。だから、生きることより大事なことはあるし、死ぬことより憎むべきことはある。人はみな同じだ。英雄だけが生死の執着を越えた特別な能力を与えられているわけではない」    

これが世界を傾ける言説だ。私の稚拙な訳で申し訳ない。原文は100倍すばらしいよ。   
 吉田松陰が孟子の言葉を自分なりに練り上げて、高杉晋作に手紙を書いたのは明らかだろう。しかしこれで、吉田松陰の価値が減ずるなどというものでは全くない。吉田松陰も高杉晋作も、幕末のあの時点で、3000年の東アジアの歴史の積み重ねによって遙か高みに持ち上げられたということだろう。吉田松陰が命を賭して、孟子を信じ崖の向こうに飛び降りた。今この日本があるということは、崖の向こうに確固たる孟子があったということだろう。