ニーチェの「曙光」には、小言説が575ある。これらは別に体系になっているわけではなく、ニーチェの様々な思いつきの断片みたいなもので、全てを理解できるなどという構造にはなっていない。



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150年前のドイツの価値観の相対化を目指す言説群であるから、理解できない言説部分があってもしょうがないとは思う。一番いいのは、多くの人が智恵を持ち寄って、ニーチェの言説の理解できる部分をそれぞれが競いながら分かりやすく提示するということだと思うけれど、なかなか難しいかな。
  
「曙光」の575の言説では、私にとって理解しやすいものもあれば、全く意味不明のものもある。そこて゛、私がギリギリで理解できたニーチェ「曙光」の言説を解説する。   

「曙光 188 陶酔と養育」   

この言説は、「民衆というものはひどく欺かれる。彼らはいつも欺くものを、つまりその感覚を興奮させる酒を求めるからである」 とはじまる。現代アメリカのトランプなんていうのもそうだけれども、ドイツではナチスという強力な雄蜂があらわれた。民衆は欺かれたと言えるけれども、民衆が強い酒を求めた結果とも言えるだろう。  
                     
ポピュリズム。
   
何故このような結果になってしまったのか。ニーチェは意外にもこのように言う。 

「養育よりも陶酔が重要であると考えるこの俗衆的な趣味は、決して俗衆の胸の奥で起こったものではない」   

ではポピュリズムという堕落はどこから来たのか?  

ニーチェはこのように言う。  

「それはむしろ、そこに選ばれそこに植え付けられ、そしてそこでか辛うじて残り、そして豊かに芽を出したのである。それは最高の知性の持ち主たちにその起源をもち、何千年も長く彼らの間で花盛りであったのであるが、民衆は、この立派な雑草がなおも繁茂することの出来る最後の未開地である」 

 ニーチェの言う何千年前かの最高の知性とは、まあはっきり言えばプラトンのことだろう。ニーチェの皮肉だね。プラトンの強力な言説が、何千年かの時を経て近代ヨーロッパ世界をここまで持ち上げたとするならどうだろう。西洋は全くの無から、世界を圧倒したところの近代以降のあの力を得たわけではないだろう?  
ニーチェのその言説を、私なりの言葉を押し込んで再現してみる。 

プラトンにによって選ばれ植えつけられ、そしてヨーロッパ中世の間に辛うじて残り、そして近代において西洋文明はその芽をだした。そして民衆の陶酔とは、その文明の最後の段階で繁茂するものである」  

はるか古代、プラトンの渾身の言説が、何千年かの時を経て、世界を持ち上げ一つの文明をつくる。ニーチェはそれを相対化して、文明の衰退を予言する。  

すばらしい。



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