ニーチェは「曙光173」で、「労働の賛美者」という題目で、近代の労働をこのように相対化している。  

「労働は最上の警察であること、労働は各人を抑制し、理性や、熱望や、独立欲の発展を強力に妨害することを心得ていることである。なぜなら、労働は異常に多くの神経力を消耗し、これを、熟慮や、沈思や、夢想や、関心や、愛や、憎しみから奪い、小さな目標をいつも眼前に置き、たやすい規則的な満足をかなえてやるからである。こうして、たえず苦しい労働が行われる社会は一層安全になるであろう。つまり安全が現在最高の神性として崇拝されるわけである」   

すなわち、労働の価値を持ち上げるということが、社会の秩序の根幹であるという。近代世界は、まあ様々な仕掛けで秩序が維持されていて、その一つが勤労だというわけだ。西洋の残酷さを感じる言説とその相対化だと思う。

現代日本では、国民は働かなくてはならないという強力なプレッシャーがある。日本国憲法には勤労の義務が明記されているし、「働かざるもの食うべからず」などということわざモドキみたいなものもある。働かないと、親や親戚や友達からも冷たくあしらわれ、全方向から半人前扱いされる。

働くことは当たり前のことだと思いがちなのだけれど、実はそうではない。発展途上国などでは、食べれるだけの最低限の労働をすれば十分なんていう考えのところも多い。現代先進国は、労働ということに関して、強力に持ち上げられている。

近代において当たり前だとされていることに疑問を持ち、当たり前の中に隠された秘密のイデオロギーを暴露していこうというのが、ニーチェのやり方だね。

孟子も同じようなことを言っていた。
「恒産無くして恒心なし」 
ただし東洋はやさしい。孟子にはこのような付言がある。  

志があっても、状況によって働かなくてはならない状況になれば、出来るだけ軽い仕事につけばいい。例えば門番とか夜警の仕事とか。

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