私は、子供のころ、人間は歳をとるとだんだんと人格が完成されてくるものだと思っていた。これは訂正されなくてはいけない。何らかの努力をすることなしに歳をとっても、人格は完成されない。歳をとれば、ただ感情制御の機構がゆるくなるだけ。   民主主義というのは、私は悪くない制度だとは思うけれど、あらゆる価値が対等だというところまで行き着いてしまうと、これはどうなのだろうか。あらゆる価値が対等だということになると、思想の積み重ねというものすっ飛ばして、なんでも才能だということになる。顔が美しいのは才能、仕事ができるのは才能、知能が高いのは才能。こうなると、整形するヤツ、仕事が出来るフリをするやつ、知能の高いアピールするヤツ、そういうのが大量に発生するだろう。  人は永遠に生きることは出来ない。誰もがいつかは死ぬわけで、嘘をついて人生を飾ってそして死んでそれに何か意味があるものだろうか。   何が正しくて何が正しくないか、そのようなものは分からないとは思うけれど、正しいことを知ろうとする誠実な努力は必要だろう。   この世界の今の秩序というのは岩盤ではないと思う。自分だけ才能を頼りによろしくやろうなんていうのは、この世界の秩序を岩盤だと仮定した甘えの論理だ。  本当なら、孟子の性善やプラトンの正義論などの強力な言説が蘇ればいいのだけれど、そういうわけにもいかないだろう。この世界はたそがれて、このままだと別の均衡に移行するだろう。その新しい世界では、今の仕事が出来るフリだとかそのようなものは全く意味がなくなるだろう。