神経症というのは現代において蔓延している。その理由というのは、メンタルが弱いのに無理にがんばるということになるだろう。まあだいたいにおいて、メンタルが弱いのは本人の責任みたいなことになる。しかしこの世界は家畜小屋ではない。クソみたいな自己責任論は受け入れられない。

そもそも「メンタルが弱いのに無理に頑張る」とはどういうことなのか。

この世界にはがんばらなくてはいけないというプレッシャーがある。学校には行かなくてはいけないし、卒業すれば就職もしなくてはいけない。就職なんて、誰も知っている人がいないところで役に立つ人間になるということで、これはかなりハードルが高い。
昔のように、親の手伝いをしていたらそのまま大人になれるというのとは違う。

この世界は頑張ることが前提となっている。

世界自体には上向きの角度がついていて、その角度に従ってあらゆる価値観が秩序付けられている。何のために世界に角度がついているのか。意味とかはないんだよね。世界の角度を確信しているなら、問題はないのだけれど、もし傾いた地面に疑問を抱いたとしたら? 頑張る角度に意味がないなんて頭の中で声が聞こえたとしたら?

私は思うのだけれど、日本は何らかの強力な言説によってその世界を傾けた。傾いた世界は固定されて、必要とされなくなった強力な言説は失われた。だから、傾いた世界のその下は空洞なんだよね。その空洞を、ある人は無意味と呼ぶし、ある人は自由と呼ぶ。その無意味や自由に耐えられなくなった時に、神経症となるのだと思う。これは病気ではなく必然だ。  

私は今まで、無意味に孟子を語ってきたわけではない。「孟子」という言説は、読んで面白いとか見て楽しいとか、そのようなレベルをはるかに超えて、崩れかけている心の空洞をみっしりと埋めるほどの力を持っている。そもそもこの世界を傾け、そして失われてしまった言説とは「孟子」だからだ。

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