「孟子」における牛山を使った性善説の説明を、書き下し文と私の訳で解説します。


【性善説とは】


孟子の思想の中心は性善説だ。性善説とは、人間の本質は善だというもの。孟子の言説はこの性善説を元に組み立てられている。

でも人間の本質が善だなんて、全くおめでたいという考えもありえる。孟子さん、現実の社会には、いい人もいるし悪いひともいるでしょう? というのが普通の感覚だと思う。もちろん「孟子」の中でも、そのような質問を孟子自身にぶつけたものがいる。その質問に対して、孟子はどのように答えたか? 

告子章句上8の孟子の牛山の言説を見てみる。以下に私の現代語訳を書く。そのあとに書き下し文を掲載。

『孟子は言う。あの牛山を見ろ。あの山はかつて木に覆われ美しかった。だが薪として、木は切られてしまった。だが山はまだ生きていて、雨や露の潤すところ、切られた切り株にも緑がたちこめた。ところが人々は牛や羊を放牧する。やわらかい緑もすべて食べられてしまった。長い月日がたち、何もなくなった山を見て、人々は、この山ははじめから何もなかったと思うようになる。しかしこの今の牛山は、本当にあるべき牛山の姿なのだろうか? 人間の心も、この牛山と同じなのではないだろうか? 人が良心を無くしてしまう理由も、日々において牛山の木が失われてしまったことと同じなのではないだろうか? 日ごとに木を切ったのでは、その美しさを保つことはできない。あの夜明けの緑の芽生えも、良心を失った人が多いことを思うなら、昼間にそれを牛や羊に食べられてしまったのだろう。このようなことを繰り返せば、緑の芽生えも失われる。緑の芽生えが失われれば、人は禽獣と変わらなくなるだろう。人が禽獣であるさまを見て、その人は善であったことはないとして、そのことで本当に人の性善を否定したことになるのだろうか。正しく育てれば成長しないものはないが、育てるのをやめればそれは消えてしまう。孔子が、「取ればあり、捨てれば失う、出入り時なく、あるところを知らない」と言ったのも、このような意味ではないのか?』

孟子曰(もうしいは)く、
牛山(ぎゅうざん)の木も嘗(かつ)ては美なりき。
其の大いなる國に郊(ちか)きところなるに以りて、
斧斤(おのまさかり)はこれを伐る、いかで美と爲(な)るべけんや。
是れ、其の日夜の息(やしな)うところ、雨露の潤(うるお)すところとなりて、
萠(めばえ)・蘗(ひこばえ)の生ずるもの無きにはあらざるも、
牛羊また從よりこれを牧す。
是の以に、彼の若く濯濯(たくたく)たるなり、
人は其の濯濯たるを見れば、
未だ嘗て材(ざいもく)あらじと以爲わんも、此れ豈(いか)で山の性ならんや。

人に存するものと雖(て)も、豈で仁義の心なからんや。
其のひとの、其の良心を放つ所以のものは、
亦(ま)た猶(な)お斧斤の、木に於るがごとし。
旦旦(ひごと)にしてこれを伐らば、いかで美と爲るべけんや。
其の日夜の息(やしな)うところとなり、平旦(おだやか)なる氣あるも、
其の好惡(こうお)が人と相い近きもの幾(ほとん)ど希(まれ)なるは、
その旦昼(ひるま)の爲なうところ、有たこれを梏(みだ)し亡わしむればなり。
これを梏(みだ)して反覆すれば、其の夜氣も(良心を)存せしむるに足らず。
夜氣も存せしむるに足らざれば、その人の禽獸を違ることも遠からず。
人はその禽獸のごときを見れば、
未だ嘗て才(もちまえ)あらじと以爲(おも)わんも、
これ豈(いか)で人の情(実)ならんや。



善意に悪意で答えるような人はいる。しかしそのような人を諦めるのではなく、それぞれが人間の性善を信じ、結局は社会全体で全てを救っていこうということ、それが孟子だと思う。


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