プラトンが語るには、国家の歴史的遍歴とは、名誉国家、寡頭国家、民主国家、僭主国家、この順番で移行するというか堕落するという。その移行の具合、それぞれの国家のあり方は、日本やヨーロッパの近代の歩みとほとんど同じだ。これをどう考えればいいのか。  

まあ普通に考えれば、人間には集団としてある決まった歴史を作り上げるシステムが存在するということになる。もう少し丁寧に言えば、人間集団はその社会としてある一定の条件を満たせば、ある決まった歴史パターンシステムが作動するということになるか。 

このような考え方を基本に、例えば明治国家を考えてみる。明治国家は誰が作ったのかという議論がある。伊藤博文が最有力だ。明治憲法も作ったし。明治の歴史にちょっと詳しい人は井上毅(いのうえこわし)という名前を挙げる。明治憲法を実質的に作ったからだ。このような英雄探しといのは不毛ではないだろうか。

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【日本の歴史システム】


歴史のシステムが作動したと考えてみる。

幕末の志士は現状の秩序を破壊して、崖の向こうに飛び降りた。そうしたらそこには明治国家的なものがあったということだろう。そして誰かが明治国家的なものを明治国家と名づけたんだ。  

同じように太平洋戦争について考えてみよう。ここでは英雄探しとは逆の戦犯探しというものになる。衆目の一致する悪役は軍部だ。これは死人にくちなしで、全ての責任を押し付けられたという面がある。個人としては、東条英機とか近衛文麿あたりになるか。ひねる人だと西園寺だとかを挙げる人もいるだろう。しかし、英雄探しが不毛だったように、戦犯探しも不毛なのではないだろうか。

真実はだよ、日本人が太平洋戦争という崖の向こうに飛び降りたら、そこには戦後日本的なものが待っていたということなのではないだろうか。そして戦後日本的なものを戦後日本と名づけた。 

226事件で、その首謀者達には破壊衝動があるばかりで、国家建設のプランがなかったと批判する人がいる。しかしそんな批判は的外れだ。自分達が破壊すれば、その後をついで誰かが新しい国を創るだろう、という226事件のあいつらの直感は正しかった。  

そして現代。私たちが迫られている決断というのは、民主国家か僭主国家かのどちらを選ぶかということになる。正確に言うなら、今の民主国家を選ぶのか、もしくは現在の秩序を拒否して、おそらく僭主国家が待ち受けているであろう崖の向こうに飛び込むかということになる。 

個人的には現状維持を希望。

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