25年ぶりに「虚構船団」を読んでみたけれど、まずまずだね。これほど実験的な作品をここまで読ませる作家というのはそういないのではないか。日本は人口も減少するし、経済もあの大バブル以降縮小傾向だしで、小説というジャンルも、分かりやすく簡単に楽しめる、という流れになってしまっていると思う。最近の若い人が馬鹿になっているなんて私は思わないけれど、「虚構船団」のような小説が受け入れられにくくなっているだろうとは思う。  面白いんだけどな。巨大船団の中に文房具船というのがあって、その船の中では文房具たちが日常生活を送っていて、みんな狂っているという。例えばコンパスは狂っている。スマートに振舞おうとして、逆に行動がギクシャクしてしまう。スマートとはなんなのかが分からなくなっている。根拠も基準もないところでスマートさのみを求めるということに無理がある。ところが文房具船が戦場に送り込まれて、コンパスは敵に追われ地雷原を突破しなくてはならなくなる。瞬時に地雷の有無を判断しなくてはならないから、コンパスは不恰好に足を曲げ地雷原を走り抜ける。コンパスは悟る、スマートとは根源的に何らかの成果に与えられる、一つの評価だという。  「虚構船団」とはこのような言説の積み重ねで、正気と狂気というものが交差するする感じがすごくいい。   大晦日、元日、の二日で「虚構船団」を読んでみた。25年ぶり。25年前の私は二十歳で、大学生だった。名古屋大学という大学にいっていた。正月は実家に帰って、故郷の雑煮を食べて、親戚どうし集まったりという普通の中産階級の生活だった。今から思えばね。 20年ほど前に両親が死んで、東京に出てきて女を見つけて結婚して子供を育てて、なんてやっているともう田舎に帰るなんていうのはほとんどなくなる。妻は子供を連れて、正月、名古屋の実家に帰ったりするけど、私は妻の実家に行ってもしょうがないし。  正月に「虚構船団」を読んで、両親が生きていたころの事を思い出すという。