丸山真男の「超国家主義の論理と心理」を今読むと、かなりずれているような感じがする。丸山真男は日本は明治維新以降一貫して超国家主義だったというようなことを書いていて、その例として、漱石の「それから」の大助の、「お父さんの国家社会のために尽くすには驚いた」という発言を引いている。確かに大助の父親は国家主義的な人物だったのかもしれないが、この大助なる主人公こそはニートだから。作品の中で、自分はなぜ働かないのかという論理を堂々と展開していた。「それから」を、超国家主義に日本が貫徹されていたなんていうことに引用するのはムリなのではないか。  そもそも丸山真男のいう「日本の超国家主義」とは何なのか。本文から判断すると、「天皇からの距離によって国家的社会的地位の価値基準が決定されていて、そのような社会では抑圧の移譲による精神的均衡の保持がおこなわれる」 ということになる。抑圧の移譲というのは、先輩からいじめられたら後輩をいじめるみたいなもので、丸山真男は福沢諭吉の「西隣に貸したる金を東隣に催促するがごとし」という言葉を引用している。 しかし超国家主義というものは日本を太平洋戦争に駆り立てた何ものかであり、それが抑圧移譲のシステムだというのは納得がいかない。抑圧移譲のシステムは、福沢諭吉の言うように江戸時代からの日本の風俗みたいなもので、これを超国家主義の源泉だというのは明らかにムリだろう。ただ丸山真男が軍隊で抑圧移譲のシステムという日本の風習にすごくいやな思いをしたということが分かるだけだ。  そもそも抑圧移譲のシステムなんていう田舎ならどこでもありそうな風習に、日本をして日清日露を勝たしめ、世界の列強の一つに数えさせ、最後はアメリカとタイマンだなんていう場所に押し上げる力があるのだろうか。  結局 「超国家主義の論理と心理」という有名な論文は、日本近代の精神史の傍流をその本流だと考えていて、まあぶっちゃけて言えば重大な判断ミスをしていると思う。